「自分が嫌なことを他人にするな」はもう古い?

さっそくですが、このブログを見てくれてる方の中には、「自分がされて嫌なことを、

ほかの人にしちゃダメ」と、親や先生に言われた人がいるのではないでしょうか。

一見、理にかなっているような怒り方ですが、残念ながら最近はそんなに都合のいい怒

り方ではなさそうです。

「自分がされて嫌なこと」ってどんなこと?

これを読んでくれているみなさんは、少し考えてみてください。



思いつきましたか?

人として考えるなら、例えば「他人のものを盗まない」とか、「叩いたりしない」など

の、いわゆる暴力沙汰(法律に触れるような行為)のようなものがありますね。

年代を絞ってみると、例えば学生さんなら「部活参加禁止」だったり、「イジメ」と呼

ばれるものでしょうか。両親との話で言えば「ゲーム禁止」とかでしょうか。

会社員だったら、「給料は明日からゼロです」とか、「飲み会強制参加」とかでしょう

か。

他にもいっぱいあると思います。ここに書いたこと以外にも思いついた人がいるかもしれません。

要するに何が言いたいか、というと・・・


「されて嫌なことは人によって違う」ということなんです。


当たり前じゃん、って思いましたか?

確かに当たり前なのですが、普段いろいろな人と会ったり、話したりするときにこれを

意識している人はあまりいないのでは。



想像ですが、昔の怒り方はこれでよかったんだと思います。

なぜでしょうか。

なんで今まではこの怒り方でよかったの?

いろいろな説があるでしょうが、私の持論は「大体みんなが似通っていたから」です。

一昔前は、「一億総中流」なんて呼ばれていたこともありました。(中学校の歴史の授業で出てきますね?)

要するに、みんなが同じように学校に通って、同じように就職して、同じように子供が

生まれて、同じように亡くなっていく。そういう流れがあったんです。

同じ環境下で同じように育っていけば、大体の人が嫌がることや趣味嗜好は似通ってき

ます。

翻って、(自分がされて嫌なこと)=(ほかの人がされて嫌なこと)という式が成り立っていたんです。

ところが。

時代は変わりました。

みんなが同じように学校に通っていた時代から、幼稚園や保育園に行かなかったり、

大学にもいかなかったり。就職しなかったり。起業したり。独身生活を満喫する人がい
たり。

皆が違う環境で生活してくると、それぞれの感じ方が変わってきます。

つまり、(自分がされて嫌なこと)≠(ほかの人がされて嫌なこと)になってしまうんです。

天邪鬼な人なら、「自分はされても嫌じゃないし」と言って小言から逃げようとするでしょう。

今すべき、新しい怒り方(ただ伝えるだけ)

新しい方法を考案しました。

といっても、新奇性はないです。

それはズバリ、「コミュニケーション」を取ることです。



ほら、当たり前じゃん、と思ったでしょう。

じゃあ、どんなコミュニケーションを取ればいいのか。

簡単です。それぞれが、自分がされて嫌なことをその都度相手に伝えることです。

簡単だと思ったでしょう。それだけ?とも思いましたかね。

人が、一生の間に出会う人の数はとてもたくさん居ます。

物心つく前までは、両親や親類だけでしょうが、学生になったり、社会人になり色々な

集団の中で過ごすようになると、加速度的に会う人の数は増えます。

その人の一人ひとりから、嫌なことを教えてもらうのです。

何万、何十万パターンの人の「されて嫌なこと」が分かれば、それとなく新しく会う相手に対しても、

うっかり嫌なことをしてしまうことは少なくなるでしょう。

叱る前にまずひとつ

両親だって、祖父母だって、先生だって、大人だって、立場の前にまず人間です。

小さい子だって、人間です。

一人の人間として、対等に会話をすることで、誰もが学ぶことが出来ます。

なので、誠心誠意コミュニケーションをとりましょう。

嫌なことばかりやってくる人にも、まずは一つ言ってみましょう。「自分がされて嫌なこと」を。

もちろん、それだけじゃ解決しない場合もあるのはわかりますので、そうなった時は声高に叫ぶのです。

「私はこれをされるのが嫌なんですが!やめてもらえますか!?」と。


誰もが最初の1回は間違えます。

暗黙の了解で、「自分がされて嫌なことは相手もわかってるだろう」と思わないでください。

既に(自分がされて嫌なこと)=(相手がされて嫌なこと)の時代は終わってしまったのですから。